ちいさな冒険(千原こはぎ)


 今でこそいちばん近いコンビニまで徒歩で往復1時間半という場所に住んでいるわたしですが、大人になるまでは大阪で育ちました。通っていた小学校までは徒歩1分(走って30秒)、駄菓子やアイスも売ってる文房具店は徒歩30秒、おにぎりやパン、漫画雑誌を買える小売店も徒歩1分の場所に2つあり、いつも遊んでいた大きな公園までも自転車で1分……という、今から考えると徒歩5分圏内に子どもの生活に必要なものはほぼすべて揃っている、というような便利すぎる場所で育ちました。小学生になって自転車に乗れるようになり、行動範囲も広がりましたが、それでもだいたいいつも行く場所は同じ。スーパーや友達の家、少し遠くの駄菓子屋さんくらい。

 小学校4年生のある日、ふと、いつもはスーパーに向かって大きな横断歩道を横切るだけで通過していた国道の先が、いったいどこに繋がっているのかが急に気になりました。左右二車線でしたが子どもにとってはかなり大きな道で、横断歩道から右手にぐぐっと高架のように上りの坂道になっていて、その先がどこに繋がっているかは見えません。
 もう10歳だし。自転車もうまく乗れるし。ずっと漕いでいけば、もっと遠くでもいけるんじゃないか。
 急に冒険に出たくなったわたしは、意を決していつもの横断歩道を外れて、大きな道の脇の狭い歩道を、えっちらおっちら自転車で登り始めました。車はびゅんびゅんと通り過ぎますが、自転車や徒歩でその道を行く人はひとりもいません。都会の子どもの貧弱な脚にはかなりきつい上り坂で、途中で自転車を降りてひいふう言いながら、重いハンドルを押して坂道を登ります。道はずっと上り坂で、まだまだどこに繋がっているのか、先は見えません。
 ずいぶんとそうして登り続けると、やっと傾斜がなくなり、道は大きくカーブして、もうひとつのもっと大きな道と合流しました。車の量はさらに増え、道路の反対側には見たことのない店や会社のビルがたくさん並んでいます。わたしがいる側は土手のようになっていて、斜面の下には住宅地がずっとずっと遠くまで広がっていました。

(きっと友だちは誰ひとりこんな場所知らないだろうな)
 大業を成し遂げたような気持ちと、初めて見る景色の雄大さ、汗だくの額に吹き付ける風が最高に心地よく、まるでこの世界を手に入れたかのような誇らしげな気持ちで、わたしは悠々と土手を見下ろしながら狭い歩道を進みました。土手は雑草がぼうぼうでまったく手入れがされていない雰囲気です。そのとき、一面の緑色の中に赤い何かを見つけました。こんなに雑草だらけのところに、異質なほどの赤。好奇心を抑えられなくなったわたしは、自転車を土手の上に置いて柵を越え、滑らないよう気をつけながら土手を降りていきました。
 近づくとそれは花でした。一本の緑の茎がすっと伸び、その上に真っ赤な花。細く繊細だけど彫刻のように美しい花びら、まるで大輪の花火のような華やかさ。それが辺りにまとまってたくさん咲いていて、真っ赤な塊を作っています。これまでに見てきた花とはかなり形も違うし、葉っぱもないし、10歳のわたしの目にそれはとても不思議で魅力的に映りました。
(そうだ、こんな見たことないすごい花、お母さんに見せてあげよう)
 初めての冒険の手土産に、母のびっくりしつつ喜ぶ顔を浮かべながら、わたしはその花を2〜3本摘んで、自転車の前かごに大事に入れて帰路につきました。かごから花が落ちないよう、丁寧に丁寧に。

 夜、いつものように仕事から帰宅した母に、黄色い絵の具バケツに挿した大きく真っ赤な花を自慢げに見せました。
「わーすごい!どうしたのこれ、きれい!」
……という言葉を期待して。
 ここでわたしは初めて知ることになるのです。それは彼岸花というありふれた花で、毒を持っていて触ってはいけなかったこと。縁起が悪いとされていて、家に飾ると火事や死人を呼ぶと言われていることを。
 母は慌ててその花をゴミ箱に捨てました。大冒険の果てに見つけ、喜ばせようと摘んできた大輪の真っ赤で美しい花は、一瞬でゴミ箱に捨てられ、ほかのゴミに埋もれていきました。

 母の名誉のために言い添えますと、彼女は一生懸命働きながら子育てをする、とてもやさしく愛情深い人でした。もし、わたしが生まれ育った土地が今住んでいるところのように自然でいっぱいであったなら、もし、徒歩5分圏内では生活できない場所で育ち、日頃からいろんな景色を目にしていたなら、きっと彼岸花はもっと身近でどこにでもある存在で、見つけたときあんなに感動することはなかったかもしれないし、その後の悲劇も起こらなかったかもしれません。
 今住んでいる場所はとても不便なところです。車で広範囲に移動しないと生活できないため、毎年季節になると、彼岸花の群生を田んぼの脇や土手などあちこちで目にします。そのたびに、小学4年生のあの日、真っ赤な大輪のうつくしい花がゴミ箱に捨てられていた光景を思い出し、切なく苦い気持ちになるのでした。


死を呼ぶと言われる日々をあかあかと今年も生きよ ただ花として


 というわけで、水たまりとシトロン、10巡目となりました。あみだくじによりふたたびトップバッターです。前回からずいぶんと間が空いてしまいましたが、それもこれも今回のテーマ「住」のせいです。わたしにとってはすごく難しいお題で、なかなか書くことができず、結果、こんな悲しいお話になってしまいました。ごめんなさい。
 きっと曜さん、さちさんはすてきなお話をしてくださると信じて、バトンタッチです。

水たまりとシトロン

御糸さち、西村曜、千原こはぎによる短歌な公開交換日記

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