お話じゃない(西村曜)

 こんばんは。またしばらく間が空きましたが、水たまりとシトロン11周目のテーマは「はじめての歌会の思い出」です。そろそろ直球に短歌っぽいテーマはどうかと、わたしが提案しました。

 ところが。提案したはいいものの「はじめての歌会」が思い出せない……という窮地に陥りました。そもそもどれが「はじめての歌会」なんだっけ……。記憶を辿ってもわたしの記憶などいいかげんなものなので、ここは資料に頼ることにしました。わたしは記憶こそいいかげんですが、物持ちはいいので短歌関係の資料は歌会の詠草含めだいたいとってあります。

 すると見つけました。わたしがはじめて参加した歌会の詠草。それは2016年3月に大阪で開催された「新淀川歌会」のものでした。「新淀川歌会」は未来短歌会の大辻隆弘さん主催の歌会です。わたしはおそらくまだ未来には入会しておらず、おそらく(「おそらく」ばかりですね、しかしほんとうに記憶がない)どなたかすでに未来の会員だった方のつてで参加させてもらったのだとおもいます。そこまではおぼろげに思い出せたのですが、それ以上は……。おそらく(また「おそらく」)そのときの極度の緊張で、思い出らしい思い出もなにもおぼえていないのだとおもいます。

 詠草に目を通してみると、読めないくらい細かな字でみっちりとメモがしてあります。歌会ではどのていどメモをとるべきか、みたいな話をかつて聞いたおぼえがありますが、このとき歌会初参加だったわたしは、じぶんの歌についてでもひとの歌についてでもとにかく発言はもれなくメモしようとしたのでしょう。そして、その詠草の拙歌のメモには、大辻さんがくださったコメントとして「短歌で物語をする必要はない……!!」とびっくりマーク付きで書いてありました。

 そうだ、わたしははじめて参加した歌会で大辻さんに「短歌は『お話』じゃないからね」と言われたのでした。そのときのことばは印象ぶかく、未来の誌上交換日記でも書かせてもらったほどです(さいごにその文章のリンクを貼ります) 「短歌は『お話』じゃない」。そのときのわたしは(だから今回のあなたの歌は短歌じゃないんだよ)と言われたようにかんじて、気落ちして帰ったこともぼんやりと思い出されてきました。

 そんなふうにわたしのはじめての歌会の思い出はおぼろげながらもほろ苦いものでしたが、過去の気落ちしたわたしに、いまのわたしが声をかけてあげるとしたら「うん、でもやっぱり、短歌は『お話』じゃないよ」としか言えないとおもいます。大辻さんがそのとき仰った意図とわたしの解釈が一致するかはわかりませんが、わたしは「お話」から漏れくるものが短歌だと、いまはおもっています。

負けて帰る道にて祈れ夕空の誤植のような一番星に

↓未来の誌上交換日記の当該ページはこちらから読めます。よろしければ

未来短歌会 REIWA NEXUS 西村曜「物語の話」

水たまりとシトロン

御糸さち、西村曜、千原こはぎによる短歌な公開交換日記

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